青年:
「ハイアーセルフとつながること」ができれば苦しみは消えますか?
案内人:
なぜそう思うのでしょうか。
青年:
私自身に力を感じないからです。ハイアーセルフにつながることができれば自分のやりたいことや使命が分かって、もっと本来の私に目覚められるのではないかと思っています。
案内人:
ご自身に力を感じないのですね。では、ハイアーセルフに繋がりたいと願う前に、まずはその「力を感じない自分」という感覚を存分に感じてみてください。
これはご自身のロウアーセルフを感じることで、とても大切なことです。
青年:
ロウアーセルフ?なんとなく聞いたことがありますがハイアーセルフと繋がることよりも大切なことなのでしょうか。ハイアーセルフ=良いもの、ロウアーセルフ=悪いものと思っているので、なるべくロウアーセルフは感じたくないです。
案内人:
それは具体的にどういうイメージなのでしょうか?
青年:
日本語に訳すと「ハイアーセルフ=高次の自分」で「ロウアーセルフ=低次の自分」という訳になるので、高いほうが良いものというイメージを持っていました。
ロウアーセルフは、まぁエゴまみれの自分みたいな感じです。そんな自分には繋がりたいと思いません。
案内人:
そう思ってしまいますよね。ロウアーセルフが「エゴまみれ」というのは部分的にはあっています。
ロウアーセルフにはエゴ(自我)や闇なども含まれます。
青年:
ということは、やはり「ロウアーセルフ」は「悪いこと」なのではないでしょうか。
なおさらそんなものを感じたくはありません。。。
案内人:
人間の次元ではそう考えてしまうかもしれません。
ですが、そこをもっと突き抜けた先になると違う次元が顕れてきます。
青年:
もっと突き抜けた先に?
案内人:
はい。突き抜けた先には、あなたが「悪」と分類するものも包めた意識があります。
それは集合意識であり、「地球意識」です。そこでは地球=自分となります。
そこまで来ると先ほどあなたが「悪いもの」として分類した意識はロウアーセルフのほんの一部であり、良いも悪いもないものだということがわかるでしょう。
なぜならロウアーセルフも大きな地球の意識に含まれたものだからです。
青年:?
案内人:少しわかりにくので図にしてみましょう。
黒い三角形が人(器)だとし、青がハイアーセルフとロウアーセルフ。赤が自我などを表しています。先程からあなたが拒絶している対象ですね。
これは概念図なのでこんなにキレイに順番のようになっているわけではありませんが、便宜的にこのように表現しています。
意識の拡大は下記のように螺旋を描いて進んでいくものです。
その過程では赤い領域(エゴ)に気づいていくことが必要になってきます。
なのでさきほどの「突き抜けた先に」と申し上げたのは悪の方に沈んでいくというイメージではなく、より広がった意識につながっていくようなイメージです。
青年:
なるほど。意識の広がっていく過程の中で「ロウアーセルフ(エゴ)」と向き合うのが必要という視点にたつと、「ロウアーセルフ=悪」ではないと。
案内人:
はい。その地球意識の視点だと悪や忌み嫌っていたものが、実は自分の味方だったりすることにも気づきます。
突き抜けた意識でこの世界を見てみると大きな意識のあり方で捉えられるのでジャッジをしなくなるのです。
そもそもエゴは構造・機能的なもので「在る」だけなので「悪いもの」ではありません。
青年:
エゴが機能?
案内人:
はい。この世界ではエゴは分断する機能として存在しています。
ジャッジして分断する機能である「自我」を「自己」と同化してしまうのが苦しみの原因です。
自我と自己を同化させると「私がいけない」「私ができてない」という思いや感情に囚われますが、本来機能(メカニズム)として存在しているのだからそれは私自身ではない。という切り分けを行うことが大切です。
青年:
なるほど。切り分けるですか。
それは自我を拒絶することではないのでしょうか?
案内人:
はい、そうではなく「健全な切り分け」をしてから、もう一度自我を見つめるのです。
先ほども申し上げた通り自己の一部として存在しているけれど自己の全体性ではない。
そうなったときに本当の意味で自我も私だと受け入れられるようになります。
健全な父性と健全な母性
案内人:
少し視点を変えて、母性と父性という観点から見てみましょう。
基本的な働きとして、母性は包む・父性は切るという機能があります。
健全な母性は「統合」の方向性です。
不健全な母性は「融合」。
融合というのは、簡単にいえば共依存の状態をつくろうとする働きです。
子供を飲み込んで破滅させる方のグレートマザーのようなイメージですね。
共依存は自分の欠けていると思い込んでいる部分を埋め合う関係性です。
その埋め合う相手がいなくなると自分はまた欠けた状態へ戻ってしまうので、相手が成長して自分から離れていくことを許しません。
次に父性です。
不健全な父性は「分離」。
自我を消そうとする、拒絶するのは「分離」になります。
赤い三角内の世界は「不健全な父性と母性」のメカニズムが働いていて「不健全な父性」によって分離させられた自我が段々と個から孤(独、孤立)になっていく過程で(空)虚になり、個を失った虚同士が「不健全な母性」のはたらきによって互いに融合していく。そんな世界です。
青年:
怖いですね…!でもなんとなく想像はできるし今の社会では至るとこに現象として起こっている気がします。
案内人:
例えばあなたがそう感じる現象はなんですか?
青年:
そうですね。SNSとかの同調圧力とかでしょうか、、、
孤立した人々が自分に欠けているものに対して敏感になり、大きな意識となって誰かを徹底的に非難したりするところとかですかねぇ。
案内人:
なるほど。おもしろいですね。
一旦、父性と母性の話に戻りますが、健全な父性は「切り分け」です。
健全な父性とはいわゆる「可愛い子には旅をさせ」ということです。
お互いを自律した個として尊重した上で1人の人間同士として関わっていく。
そしてこの場合の健全な父性による自我の解放とは自分と同一化している、様々な思い込み(囚われ)、構造などに気付き、それらから自分を一旦切り分ける。というプロセスです。
すると自我と距離が取れるようになります。
自分とは別物として自我を客観視出来るようになると、その存在をありのまま受け入れらるようになります。
その際、それらを肯定しなくてはならない。ということはありません。
肯定出来ないままにありのまま。でいいのです。
〝人〟という入れ物に乗っている以上、自我というメカニズム、この二極の社会というメカニズムは在るので、それをもそのまま受け入れて含んで超える。
自我の存在しない聖人になるのではなく、聖人ではない自分自身を受け入れていく。
すると結果、気付けば聖人となっているかもしれませんが、それはあなたが今思っているような聖人とは異なるかもしれません。
あなたが教えてくれたSNSの例で言うと、「私にはこれがない、羨ましい」という気持ちを誰かに対して感じたとしても、健全な切り分けを行うことで欠けた自分を受け入れ、他者への攻撃をしなくなる人が増えるかもしれません。羨ましいという気持ちはそこにあるままで、「羨ましい」という気持ちを全くもたない人になることはなかったとしても。
青年:
なるほど。先程言っていた「自我」と「自己」を「切り分け」てから、自我を見つめるということが少し分かってきました。
案内人:
良かったです。健全な父性でエゴを見つめられるようになると、それまで自分が受け入れられないものを抑圧することに使っていたエネルギーを解放し自由になるので、より本来の創造のエネルギーへ転化していくことができますよ。
なので、健全な父性は「解放」でもあります。解放することで開放につながっていく感覚です。
青年:
健全に切り分けることで、初めて統合ができていく。それが開放でもあるということですね。
案内人:
はい、そのとおりです。高次(ハイアーセルフ)だけではなく、自我(ロウアーセルフ)も含めての多次元です。
自我も高次も同時に在る多次元。それが在る意味自分自身とも言えるかもしれません。
あなたは冒頭で「ロウアーセルフ」を感じたくない。と言いました。
それはあなたの今の感覚であり、大切にしてあげてほしいことです。
ですが「健全な父性」でロウアーセルフを見つめることは器を広げることです。
そうすることでより広い「ハイアーセルフ」に出会えるのです。
図にかかれている要素はハイアーセルフもロウアーセルフも全て一つのところにあります。
ですが、そこにあることに気づけていないだけです。
「ロウアーセルフ」を健全に見つめることで意識の器が広がり(解放)、統合していくことで意識のさらなる開放につながり意識が変容していくと、そこにあることに気づくことができます。
「ハイアーセルフ」というと、何か1つの神様のような存在がいるイメージを持ってしまいがちです。
信心深い方ほどそうです。しかし、そういった単一の存在につながるというイメージではなく意識の循環、広い意識につながっていくことで気づけるようになるという表現の方が私にとってはしっくりきますね。
青年:
ハイアーセルフだけに繋がりたいという自分の気持ちも大切にしながら、なぜそんなに繋がりたいと感じるのか。そこに自分の「欠け」やエゴのこだわりが見つけられるような気がします。
まずはそこを見つめてみることにします。
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