青年:
生きていく上で、「使命」を見つけることが大切だと考えています。
どうすれば使命を見つけることができますか?
案内人:
なぜ、使命を見つけることが大切だと感じるのでしょうか。
青年:
生活の中で、どこか空虚感があります。
それは「使命」ではないことをやり続けているからではないかと思っています。
「使命」を見つければ、内なる情熱を燃やして、もっとイキイキと生きられる気がするのです。
経験と使命
案内人:
確かにあなたの周りを見渡すと「使命を見つけよう」「好きなことをしよう」という言葉が溢れているようですね。
実際にあなたの周りには「使命」に生きていると感じる方はいらっしゃいますか?
青年:
そうですね。SNSで見かけるYくんは使命に燃えている感じがします。
自分は「子どもたちの未来を変える」と宣言していて、エネルギッシュに活動しています。
実際に事業も成功しているみたいで、私もあんな風になれたらいいなと感じています。
案内人:
あなたの目にはそう映るのですね。
もちろんそう感じることは決して間違いではありませんし、1つの側面です。
私から見えている側面をお伝えするならば「彼は使命にとらわれている」という見方でしょうか。
青年:
囚われている?
ずいぶんマイナスな見方に感じます。
案内人:
Yくん自身が今行っていることを「使命」と感じていらっしゃるかは分からないですが、私が今後必要だと感じる感じるのは「使命」で留まらずに「経験」と捉えていくことです。
青年:
経験ですか。。なんだか神々しさが消えた気がします。
案内人:
ふふふ。使命を神格化してるのですね。
では、あなたが使命を見つけたとしたら、どんな感覚がしますか?
青年:
そうですね、、、今の自分とは違う(素晴らしい)自分になる感覚。
なにかにまっすぐに進んでいくような、迷いがないような。
どんなことも頑張れる!人生をかけてそれを成し遂げる!みたいな力強い感じですかね。
案内人:
なるほど。それは「今の自分が弱い」と感じるということでしょうか?
青年:
そうですね、、、。使命が見つかってないから、迷いがあるみたいな感じです。
案内人:
その迷いがある経験は大切ではないと感じるのですね。
青年:
いえ、そうも思いませんが、ずっとこれが続くと思うと不安です。
案内人:
では「使命を見つけること」は、あなたにとっては不安をなくすことと同義なのですね。
青年:
そうかもしれません。でも実際は使命を見つけても不安はありますよね。。。
私の感じる使命は「不安を感じても突き進んでいけるような芯」みたいなものかもしれません。
案内人:
なるほど。ブレない感じでしょうか。
では、少し見方を変えるとそれはある意味では「盲目的」とも言えないでしょうか。
青年:
言われてみると、確かに。
使命の良い側面しか考えていませんでしたが、人生の使命を決めた途端にその事以外は目に入らなくなるような。
周りの人に言ってしまったら、なおさら使命を簡単に変えることは難しいと感じます。
案内人:
はい。「使命」という言葉はある意味では、とてもご自身を縛ります。
そして、満足感を与えます。「これが使命だから」という大義名分を抱えると行動するパワーにもなりますね。
けれど、使命という概念はおおよそ「自我」からのエネルギーであることが多いのです。
青年:
ほぉ
案内人:
そのため、私はあえて言葉にするならば「経験」を大切にしてほしいと思っています。
あなたが感じている「なにか強いものにならなくてはならない」という、その感覚も1つの経験です。
その経験を嫌がるのではなく、ご自身の中に弱さを嫌うパーツがあるのだと経験していただきたいのです。
そうすれば、使命がなくても生きていける。
むしろ「使命」という言葉に意識が巻き取られないので、ご自身の意識がどんどんと変容し、さらに必要な経験が顕れてくる。そんなことが起きてきます。
青年:
では、使命は特にいらないという結論なのでしょうか。
案内人:
あなたが「使命」を仮に見つけたとして、あなたの人生が一生使命に注がれてしまうのであれば、もしかしたら不必要なものかもしれません。使命と感じることも「一つの経験」と捉えてほしいのです。
使命以上に魂の意図を感じ取って欲しいと思います。
青年:
魂の意図?
それは使命とは違うのでしょうか。
魂の意図
案内人:
魂の意図をあえて数式で表現するならば以下のようになるでしょう。
魂の意図=目的-自我
言葉は内容物を正確に表現するには難しい性質を帯びているので、使命=魂の意図として使っている方もいるかもしませんが、この世で使われる「使命」は多くの場合では自我由来です。
青年:
なるほど。。。
どうすれば魂の意図に気づけるのでしょうか?
お告げのようなものが降ってくるのでしょうか。
案内人:
経験は人によって異なるため「正解」はありませんが、あなたが冒頭で私に「どうすれば使命は見つかるのか?」と質問した意図に気づいてみてください。
青年:
それは、先に申し上げた通り「生活に空虚感があるから」ですね。
案内人:
では、空虚感を消したいと思う目的はなんですか?
青年:
・・・・
苦しいから?
うーん、空虚感を感じたくないから。
空虚感があると幸せじゃない人みたいだから。
自分に欠けている部分があるから…
そんな感じですかね。
案内人:
「自分に欠けている部分がある」その感覚はどこからやってくるのでしょう?
それを感じるとどんな感覚がしますか。
青年:
とてもつらいです。胸がきゅっと苦しくなってきます。
案内人:
そうですね。ツライと思います。
でもそれがあなたにとっての経験であり、気づきなのです。
その感覚と融合しきっている時、
人間はそれを克服したり、消そうとして「使命」を作り上げてしまうのです。
でも、それとの距離が取れてくるようになると、それは存在としてあるだけで
自分がどうこうしようと思うものではなくなってくるのです。
そうやって自我に気づいていくと、先ほどの式
【魂の意図=目的-<自我>】がニュートラルな状態になってきて、【目的=魂の意図】という状態になってきます。
青年:
魂の意図がお告げのように聞こえるわけではないんですね。。。
案内人:
意識の段階が上がってくると「目的=魂の意図」になってきて存在そのものが魂の意図に変わってきますので、そのように感じる方もいるかもしれません。
青年:
なるほど。自我は前回のお話で「悪いものではない」とおっしゃっていましたが、ここでもそれは同じなのでしょうか?引き算で排除されているので「悪いもの」のように感じてしまいます。
案内人:
もちろん悪いものではありません。ここでは、パラドックス的な事象が生じるのですが、自分の中の自我を認めることは自我の多様性を認めていくこと。様々な自我の存在を認めていくほど最後は逆に境界がなくなっていくのです。
さらに、純粋な意図に近づくにはやはり「人間(自我)としての経験」が必要なのです。
自我と高次の意識がきちんと別のものと認識されるからこそ一緒にタッグを組むことができ、よりパワフルに魂の意図を遂行していくことができるのです。
コメント